| からくり人形の調査には、ある種の想像力が必要である。というのは、実物を寸分違わず調査することは、もちろん重要なことであるが、調査する対象が必ずかつてのからくりの動作や演技を伝承しているとは限らないからである。からくりの調査にとって重要なのは、からくり本体の動作や演技を可能にする構造と、そのからくりを操作する方法である。現在の伝承では不明になっている動きや、今は演じられなくなっている動きを探っていかなければならない。それはいわば、可能態としての調査とでもいうべきものであろう。その可能態としての演技や動作が見えてこないかぎり、からくりの調査は、実は完結しないのである。しかし、からくりの調査は、必ずしもそうしたかたちでは進められていないのが実情である。むしろ、現状報告型の調査がやはり主流を占めている。だが、それには自ずと限界がある。 では、我々はどのようにからくり人形の調査及び分析を試みるのか。まず、そのからくりが演じられた文献、記録を調査するのが基本である。しかし、ほとんどの場合、その期待は薄い。ところが、伝承されているからくりそのものの記録が少なくとも、そのからくりと同じ演目や、あるいは構造をもつからくりの資料は、なんとか集めることができる。それはより多くの場合、人形浄瑠璃や歌舞伎の舞台演出を知るための手掛かりとなる絵尽し等の絵画資料が参考になる。そうした資料をもとに、現在伝承されているからくり人形の構造と機巧を詳細に調査することを通して、かつての人形の動きを推測していくのである。 |
| ここでは、そうしたからくり人形の調査と分析の実際を、大津祭の源氏山の例に即してまとめてみたい。 |
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源氏山は、紫式部が水想観を得て源氏物語の須磨明石の巻を執筆したという伝承を舞台化したものである。作者は林孫之進で享保三年の出来である。大人形の紫式部が琵琶湖の湖面を眺める風情で高殿に右手に筆、左手に巻紙を持って座っている。やがて、その下に小屋と立木がにわかに立ち現われる。まもなく、下手の岩屋から、汐汲みの翁と娘、舟を漕ぐ船頭、牛車の一行が次々と現われて、左から右へと移って上手側に消えていく。これが、源氏山のからくりの展開である。従来より、扇と称される回転盤にセットされている小人形の演技と、小屋と立木の出現という演出が伝承されてきていた。しかし、源氏山の構想からいえば、大人形の式部がまったく動かないというのは不自然なことである。 |
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そこで、絵画資料を参照すると、これと素材を共にする人形浄瑠璃や歌舞伎狂言の挿絵が見出される。すなわち、『源氏供養』と『石山寺開帳』がそれである。それらの本文を検討すると、明らかに式部の演技が伴われていたことがわかる。図に示したのが、その絵入本の挿絵の一つである。それらの人形の姿や式部の様子は、源氏山の人形や舞台に近い。ただし、残念ながら、これらの挿絵からは、舞台の実際が明らかにはしがたい。 |
| そこでさらに、他の絵画資料を検討の材料としなければならない。次に掲げたのは、元禄十二年に京都宇治座で上演された『南大門秋彼岸』の挿絵である。 |
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この挿絵には、豊舟が南大門で一睡のうちに栄華の夢を見るという設定で、舞台の正面には眠っている豊舟、その胸から出現する宮殿、そして、豊舟の枕からは小人形が現われて、玉の輿を中心に行列が進んでいくところが描かれている。この小人形の動きは舞台下手の幕に注目すれば、明らかにそのなかに消えていくということがわかる。これらの小人形は豊舟の枕から出現して、やがて舞台下手の幕に消えていく。この演出が可能になるためには、やはり舞台正面の前面の多角形の基盤が回転して、右から左へと小人形を進めなければならない。これを挿絵は注記して「行列人形」と称している。この行列人形は、源氏山のからくりの小人形の演出と同じものと推定される。もちろん、小人形が歩むからくりとも考えられるが、やはり、回転盤を利用した演出とするほうが自然であろう。 ここで注目しておきたいのは、小人形と大人形の動きの相関である。豊舟が眠っているうちに豊舟自身の立身出世の有様が展開されていくのであるが、豊舟の胸から宮殿が出現して、その宮殿で栄華を極めるという設定であるので、やはり、小人形の動きとともに大人形の仕掛けも動作しなければならない。この点からいえば、それと類似したからくりである源氏山の場合も当然のことながら、式部人形が動作してしかるべきであろう。 |
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